実業家港区おじさん

若手起業家のメモ 神崎信也

環境が大事、誰と一緒にいるか

バイオリズム、あわないやつもいる

誰と一緒にいるか

どこにいるか

それだけで自分の人生の質が変わる

なぜ事業にこだわるのか

社会が認めないから

高度経済成長、日本を世界ナンバー1の経済大国に押し上げた

そこをつくりあげた先輩方からの学び、これ以上あるか

わかんなくていいから、その場にいること、空気感

俺が上場したときに、かばんもちやらせてもらった、これが武器

違和感と心に汗をかくところに自分の成長がある

小長先生

本人の言葉を聞けるに越したことはない、臨場感

90歳、長生きの秘訣

役員車に乗らず、歩く、1日1万歩、足腰が弱くなる人が多い

60を超えて弁護士に、若い人間といること

その時その場に、末席にいるだけでもいい、空気感

経済産業省、ヘルスケア産業

石破派の山下代議士、

骨のある人間が多い、きついときに付いて行ったメンバー

斎藤健、山下貴(逆風の中でも)

30分前にいろ、その場での世間話が大事、いろんな話を、一色さんとの話、

当時の通産省は、今の経産省より格段に上

伝説の企業ヤオハン

熱海に戦後の日中経済交流の緒となった老舗企業がある。

当時の小売最大手、「ヤオハン」だ。

当時日系企業の中国市場進出の基盤を築き、ダイエー、イオンという小売流通の歴史の原点となった企業だ。当時の代表和田一夫氏は、天下のトヨタ自動車や名だたる大々企業のトップが列をなして挨拶をしにいくほどの人物。当時の鄧小平政権、中国とのつながりの深い小沢一郎橋本龍太郎、現代の二回自民党幹事長と脈が引き継がれている。

日中国交正常化を成し遂げた田中角栄、今や中国人から神と崇められている政治家がいたあの時代、日本国内も経済復興での盛り上がりを見せる中、日本では知られていない中国で有名なレジェンド、それが「ヤオハン」だ。

中国企業への進出の鍵になる「ヤオハン」気になる・・・

接待

日々ドラマチックにチャレンジ

 

港区の企業といえば、豊川稲荷

日々感謝しご挨拶を

 

さて銀座にて接待

リアルな現場での臨場感、空気感、流れ、人の状態から判断力を磨く

この辺をゲーム感覚で楽しんで接待できると

 

ビジネスは、

「事前の段取りと色を入れる」

「いかに早く楽しくクリアするか」

 

ダンディでイケイケの80歳になるために、ガシガシ仕事をし挑戦。

自由に遊び、やりたいことはなんでもやる

好奇心でまずやってみる、食、文化、芸術、お酒、時計も車も全部どり

 

周りの人間に徹底して与え、喜んでもらい、感動してもら、想像をはるかに超えるギブで周りの人全員に幸せになってもらおう

 

先読み

次の1歩2歩3歩先を、リアルに感情移入して、想像力を膨らませて何通りもの思考を張り巡らせて準備しておく。現場はどんな状況でもどんとこい

 

良くしてもらってるお店だからこそ、スタッフさんにも気持ちよく仕事してもらう、喜んでもらう

もはやその場をゲーム感覚で芸術につくりあげる

真摯

当初のイメージは、いわゆる世間がイメージするプロデューサーやクリエイティブディレクター

軽いノリで良く言うと付き合いやすく、悪く言うとチャラチャラ

その先入観を覆される、人の魅力、作品への情熱とプライドと鮮度を感じる人柄

初対面の印象で、ファンになる

 

【真摯】

 

数々の名だたるCMをつくり上げてきた業界トップクリエイティブディレクターR氏。

落ち着いて物静か、人を見る視線にも奥深さを感じ、「情報の深度」を感じる。

 

企業経営者として、

 

哲学は何か?

ネクスト社会に対してどういう価値観を入れたい?

思い描く未来予想図は?

自分たちの活動の愛はどこにある?

社会に対してどんな愛を注ぐ活動か?

 

これを真剣に考えていきたい。

 

企業経営者は、「30年先の未来を鮮明に見通せるか」

 

いいちこ 名CM

www.youtube.com

 

このCMから何を感じるか

 

ブレない信念を感じる

最後まで、CMかわからない

理想の最大限を生きる

昨晩はスタッフと夜な夜なmtg

19時以降自主的に集まるスタッフの熱心さに感動の毎日

 

コミュニケーションを取りながら、ノウハウを共有し、自分の経験値を分かち合う

これ以上の喜びはない

仲間の成長が、自分の成長をコミットさせる

 

ちょっとした自己紹介

 

1987年 宮崎県宮崎市に生まれる

2003年 宮崎市立大塚中学校卒業

2006年 宮崎県立宮崎西高校卒業

2008年 福岡大学商学部貿易学科中退

2010年 信州大学経済学部経済学科卒業(3年時編入

2010年 株式会社日立製作所入社

2010年 日立金属株式会社出向

2012年 高級機能部品カンパニー

2016年 退社

2018年 株式会社Qreators Consulting設立

 

共働きの両親を持つ幼少期、兄の影響で少年野球を始める。知り合いの紹介で隣町の少年野球クラブチームに。父が監督、兄が主将の野球一家。宮崎出身もちろん熱狂ジャイアンツファン。小1から野球を始め、週6練習。学校の友達はおらず、授業が終わると自転車で隣町の練習場まで。週末は毎週遠征。唯一の休みだった火曜日は英会話。中学高校まで野球一筋12年。

 

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志望校の大学受験に失敗し1,2年時は福岡で荒れた大学生活。日中は愛車ドラッグスタークラシックがお友達。バイトで資金づくりし海外旅行に情熱を注ぐ。通算20ヶ国の海外渡航経験。異文化への興味、グローバル人材の魅力に変わり、その最中カメラに出会う。都内美術館を巡る芸術好きで、人物画や風景画など目に焼き付けたものを形に残すことにやりがいを持つ。

 

3年次編入を経て信州に拠点を移す。信州松本の土地柄を気に入り、日本アルプス上高地など避暑地の風景画撮影に没頭。登山活動も活発になり、富士山、美ヶ原、乗鞍岳谷川岳を登頂。アルバイトで世話になったドイツ料理店の恩師であるシェフにドイツビールを学び、海外で仕事をすることに憧れを持つ。就活と同時にリーマンショック、志望先の求人がなくなるなど苦戦。内定が決まらず活動は長引き、当時戦後最大の赤字会社であった日立製作所に拾われる形で入社。

 

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社内研修を経て日立金属へ出向。自動車機器事業部の生産拠点(埼玉県熊谷市)で2年の現場研修。主に日産自動車本田技研工業富士重工業を取引先とし生産調整や現場管理を業務として行う。

入社1年目の尖閣諸島沖中国漁船との衝突事故、2011年3月の東日本大震災を経験し、世界情勢や自然災害による大幅な業績悪化や人員整理を経験し、また系列で縛られたサプライチェーン、薄利多売の部品産業の疲弊を目の当たりにする。北米、ドイツ、韓国、タイの生産拠点との連携等、海外のビジネスマンとの接点が触れるにつれ、日本にはないが以外ビジネスマンの学ぶ意欲の高さ、会社以外での収入源や充実した自己投資をしていることを知り、自身の将来に真剣に向き合うようになる。

 

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・25歳の葛藤

仕事も順調な社会人3年目。、目標は30歳で管理職。最速での出世、海外トレーニーで北米駐在、その後欧州支店で活躍するという華やかなキャリアコースを夢見る。自動車といえば北米のBIG3、欧州ならVWBMW。その第一線で活躍したかった。当時経理業務を行っていた頃、役員クラスまでの報酬を知る機会も増え、現実的に自分の10年、20年後の未来を想像すると未来への期待以上が不安に転じることが多くなった。世界経済では円高が進行し、日本の技術優位性が失われ、人件費の安いアジア勢との価格競争にさらされ、生産拠点が海外へ出ていく全盛期。成長激しいアジア勢の中で日本で製造業が生き残るのは厳しいと感じ、会社以外で自分の生きる道を探し始める。自分の理想は何か、どうなりたいのか、成長したい、資産も自由も得たい。ただ、何から始めたらいいのか、どうしたらいいかわからない。そんなもどかしい日々が続いていた中での、新たな出会い。

 

・女性経営者との出会い

長野県の某IT企業に勤めるA氏24歳。都内出張時に運命的な出会いを果たし人生の転機に。職種も違う同世代が集い、週末起業でビジネスを立ち上げる土日のビジネススクールに感化され、週末スノボや旅行など将来に繋がらないなんとなく時間を費やす日々に疑問を持つ。数年後の未来が会社の上司の姿になるという言葉に危機感を持ちつ。新幹線で都内に通う3ヶ月の日々を過ごした後、上京を決意。平日はサラリーマン、土日は事業挑戦のダブルワーク。1年半結果は0のなか何度も諦めかけたが、決めたことは最後までやり遂げるという信念を軸に徹底して継続に継続を重ね、2年を終える頃には業績急拡大。27歳で独立し起業。その後も28歳で結婚、29歳で妊娠、30歳で出産、年収3,000万超えを宣言通り達成し、現在は1児を抱える女性として、ビジネス・結婚・子育て・海外旅行・趣味のショッピングなど願望を全部取りする理想の生き方を実現。

座右の銘:「現実が、夢を追い越す瞬間がある」「願望は知識」

その場の空気を感じる

ニューオータニで朝食&勉強会

講師は日本総合研究所会長の寺島実郎氏。

 

世界的視野のジャーナリズム

経営者として全体値を把握する

世界の流れ、潮流を読む。

 

▼情報鎖国

日本は情報鎖国

SNSは興味がある分野に紐づけられた情報に偏り視野が狭くなる。新聞(一般紙)の発行部数減少からも、科学ジャーナリズムの衰退が顕著。SNSで部分的な情報を見ても本質は掴めない。昭和と平成の社会を生きてきた経済界の先人からの歴史は明瞭簡潔で、無駄なくシンプル。

情報は誰に聞くか。知識や情報だけ聞いても無駄。そこに経験と現場感の体温と体重が乗った言葉に価値がある。

 

2000年:4,740万部

2019年:3,487万部(△73%)※出所:日本新聞協会

 

▼コロナに関する見解

2019年、餅を喉に詰まらせて亡くなった方は3000人以上、インフルエンザ3575人。

今年コロナで亡くなった方は1600人(10月時点)

 

コロナへの騒ぎ方の異常さは数字で分かる。コロナは、「感染力の強い、弱毒性のウイルス」である。当初政府の「専門会議」の委員の1人が、「何もしなければ85万人が感染し、42万人が死ぬ可能性がある」と発言したことで、メディアが取り上げ、日本中が大混乱になった。真実を知る必要がある。

 

北米で14万人を越す死者がでている理由は、格差と貧困。健康保険に入れない5,000万人以上抱えている脆弱な社会性。世界から見た日本は、司令塔は機能してないのになぜか死者が少ない謎めいた国。ジャパンモデル:「マスク2枚と10万円を国民に配布」と揶揄されている。

 

現代の日本人の死因。

1位:ガン

2位:心疾患

3位:老衰

4位:脳血管疾患

5位:呼吸器症候群

年間死亡者の7%が肺炎などの呼吸器症候群。

 

▼日本の株価は根拠なき熱狂

世界GDPは81兆ドルあるが、緊急経済対策でその1割を市中に世界が投入、余った金は株式市場に投入され、財源は後代負担。

 

日本ではアベノミクスにより異次元金融緩和が行われ、マネタリーベースで2010年比5倍。

お金を擦りまくって大量発行し、市中のマネタリーベースは増加し金が溢れ、市中銀行が大量の国債を購入し、日銀がETFの大量購入する流れ。今や日本の株式の大株主は日銀と言える。日経平均株価の上昇し、実体経済の伴わない23,000円代の株高。これにより株高で企業が恩恵を受けるも、先行き不透明のため剰余金が過去最高となりサラリーマンへの還元はなく、実態社会での体感がない。世帯可処分所得と消費はピーク時より減少している。

 

日本では株式を保有ている7割が高齢者のため、株価上昇の恩恵を受けるのは富裕層のみという構図。コロナにおいて、高齢者などの上層階級が自宅でマネーゲームを行い、サラリーマンなどの中層階級がテレワーク、若者などの下層階級が生活に必要費可決なエッセンシャルワーク(飲食店、ウーバー、輸送配達など)という富の「逆進性」が進んでいる。

 

農業→製造業・建設業、地方→大都市圏(生活が豊かになるモデル)が昭和であり、製造業・建設業→広域のサービス業(生活が厳しくなるモデル)がコロナ以降のモデルであり、一億総中流社会を目指していたはずが、完全に格差が拡大されている。

 

▼米中に極論は誤り

経済では中国が最大の輸入相手国であり依存度が高く、軍事面では米国に依存。アメリカは尖閣諸島を日本のものとは明言しておらず、中国が台湾を始め尖閣の実効支配に乗り出した際は危機的な状況になりかねない。今は経済は中国依存、軍事はアメリカ依存のねじれ状態。台灣に米軍基地はないため、台湾有事には沖縄、岩国が攻撃目標になる。

 

中国経済の不透明性

香港、台灣、東南アジアの3000万人の華人が中国に失望し、脱中国化。

中国の実態は、台湾の馬英九政権時の企業、シンガポール、香港が支えてきたため、これら華僑の動きに注目。ASEANは米中対立に巻き込まれたくない姿勢を鮮明にしてるが日本は中途半端。

 

▼日本の国際社会の地位低下

世界に占めるGDPシェア、日本は2000年14%、2018年6%。今後は2025年4%、2050年1.8%になると言われている(2018年:米国24%、中国16%、日本6%)。

一人あたりGDPが世界24位(2019年)。

世界は日本を終わったと見ている。

産業力で外貨を稼ぎ日本を豊かにするというビジネスモデルからの打開が必要。化石燃料17兆円、食料品7兆円を輸入しており、マスクも8割を輸入など海外依存度が高くなっている。戦争で物量で負けたため物量で勝つために追いつき追い越せと日本の先輩方がつくりあげたこの社会を、どう次のステージに上げていくか。相続税対策でシンガポールに移住した日経は4万人いるなど、海外への人口流出も課題。日本は2008年の人口のピーク1.28億人から減少し、2050年以降1億を切り、2100年には4900万人になる見込み。